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長野地方裁判所松本支部 昭和48年(ワ)18号 判決

原告 壬生松美

〈ほか二名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 林百郎

右同 菊地一二

右同 小笠原稔

右同 松村文夫

右同 木嶋日出夫

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜実

右指定代理人 宮北登

〈ほか八名〉

被告 川崎工業株式会社

右代表者代表取締役 閔昌鎬

被告 大宗土建株式会社

右代表者代表取締役 杉山宗一

右被告ら訴訟代理人弁護士 久保田嘉信

右同 杉下秀之

主文

一、被告らは各自、原告壬生松美に対し、金四、七四三、九三六円、原告壬生明美、同壬生明裕に対し各金四、四二六、二〇八円および右各金員に対する昭和四四年八月五日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

四、この判決は主文一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告ら)

「一、被告らは、連帯して原告壬生松美に対し、金四九一万〇、六六二円、原告壬生明美と原告壬生明裕に対し、各金四五九万二、九三三円および右各金員に対する昭和四四年八月五日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決並に第一項につき仮執行の宣言。

(被告川崎工業及び大宗土建)

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

(被告国)

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決及び仮執行宣言がなされる場合には担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二、当事者双方の主張

(請求原因)

一、当事者

被告大宗土建株式会社は、被告国より昭和四四年八月頃、営林局三殿営林署による第三次治山五ヶ年計画下山沢下流復旧および予防治山事業の一環である長野県木曽郡南木曽町与川下山沢地籍内の南沢林道新設工事を請負っていた。(以下本件工事という)

被告川崎工業株式会社は、被告大宗土建より右工事の一部を下請していた。

訴外壬生明文は被告川崎工業の従業員であり、右工事に従事していたものである。

二、本件災害の発生

1 本件工事の内容

(一) 本件工事は、長野営林局発注の長野県木曽郡南木曽町与川下山沢地籍内の南沢林道(自動車二級)新設工事であり工期は、昭和四四年四月二四日より一二月三日までの予定であった。

(二) 被告大宗土建は、昭和四四年四月一七日、金四、五六〇万円にて落札し、同月二三日被告国と右工事請負契約を締結した。

被告川崎工業は、被告大宗土建より、右工事の一部(岩石・土砂の切取りおよび石積み等の作業)を下請した。本件事故当時、十数名の右被告の従業員が本件工事作業に従事していた。

壬生明文は、被告川崎工業と雇傭契約を締結し、本件工事には、同年八月一日より従事していた。

(三) 本件工事作業については、現場にて営林署職員および被告大宗土建の従業員が、被告川崎工業の従業員を監督していた。

2 本件寄宿舎の設置

(一) 本件工事施工には工事作業員が寝泊り・食事等を行うための寄宿舎が必要であったので、被告川崎工業は、営林署職員及び被告大宗土建の従業員と現場を調査し、右二者の指示により本件寄宿舎の建設地として、南木曽国有林三殿事業区三九四林班内下山沢ナンバー三九コンクリート堰堤付近(以下本件現場という)を選定した。

(二) 被告川崎工業は、昭和四四年四月一九日頃本件現場に本件寄宿舎を建設した。

(三) 被告大宗土建は、昭和四四年五月六日、営林署に対し、本件寄宿舎を本件現場に建築する目的で国有林野無料利用承認願を提出し、その頃三殿営林署は右願を承認した。

3 本件現場の状況

(一) 本件寄宿舎建設地は、その東側を南から北に下山沢(下流は与川となる)が流れ、その西側に幅員約四・六メートルの下山沢林道をへだてて、傾斜約二〇ないし三〇度、高さ二〇〇ないし三〇〇メートルの山をひかえている。(以下本件山林という)

右山すそと下山沢の間隔は、最大のところで、約二〇メートルである。

(二) 本件寄宿舎は、本件建築地に下山沢林道に平行して、南側(上流)と北側(下流)に二棟建築された。

本件寄宿舎は、前記山すそから、短いところで約四メートル、長いところで約九メートルしか離れていなかった。

4 本件山の状況

(一) 本件山の尾根から本件建築地に対し、二つの沢が流れ落ちていた。

右沢は、常時水が流れ、被告川崎工業の従業員は、パイプを通じて引水し、風呂や炊事用に使用していた。

(二) 本件山林付近の地質は、花崗岩であり、風化が進み、風雨により雨水が浸透した場合には、極めて崩落しやすい状態にあった。

特に、下流側の沢の途中には、伊勢湾台風以後、土砂崩落防止用の堰堤が築かれているほど崩落しやすい箇所であった。

(三) 本件山腹は、植林がほとんどなされず、多くの風倒木や伐根が未処理になっていて、多量の降雨の場合には右のものが堰となって多量の水をため、一度に流出する(いわゆる鉄砲水)危険性があった。

(四) 本件事故直前の昭和四四年七月にも、降雨の際、土砂が雨水とともに本件山から本件建築地に対し流出し、ブルドーザーやトラックによって右土砂の除去作業をしたこともあった。

5 本件災害の発生

昭和四四年八月五日午前四時頃、前夜からの降雨により、本件山より約一、〇〇〇立方メートルの土砂が、鉄砲水とともに、流出し、本件寄宿舎を流出し、右寄宿舎に宿泊中の壬生明文外四名は、右流出した土砂を含む流水により下山沢に転落し、壬生明文は同年九月三〇日南木曽町賤母地籍内の木曽川にある山口ダムにて死体となって発見された。

三、被告らの責任

1 被告大宗土建の責任

被告大宗土建は、被告川崎工業に本件工事を下請させ、かつその従業員をして、直接壬生明文を含む被告川崎工業の従業員の作業を監督し、しかも営林署に対し、本件建築地に本件寄宿舎の建築の承認願をなしているのであるが、寄宿舎の建築地としては、土砂崩壊のおそれのある場所を避けなければならない注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、指示して前記の如く危険な箇所に本件寄宿舎を建築させた過失により、民法第七一五条、第七〇九条により不法行為責任がある。

2 被告川崎工業の責任

(一) 被告川崎工業は、壬生明文に対し、同人との雇用契約に基づき、雇用場所、寄宿舎等における安全保証義務があるところ、前記のように危険な場所に設置された本件寄宿舎に同人を宿泊させた。

(二) 仮に然らずとするも、被告川崎工業は、建設業付属寄宿舎規則第六条四号により土砂崩壊のおそれのある場所を避けて寄宿舎を建築しなければならない注意義務があるにもかゝわらず、これを怠った過失があり、民法第七一五条、第七〇九条の不法行為責任がある。

3 被告国の責任

(一) 国家賠償法二条に基く責任

被告国は、その管理する本件山林について、風倒木や伐根を未処理のままにし、かつ殆んど植林もせずに濫伐するのみでいたところから、崩落し易い地質と合わさって本件災害を惹起したものである。従って、被告国は、公の営造物である本件山林の管理につき瑕疵があった。

又、本件寄宿舎設置場所自体も公の営造物であるところ、一見して崩落し易い山腹の真下である本件場所を寄宿舎建設地に選定したことはその設置の瑕疵というべく、本件事故に至るまで約三ヶ月に亘り寄宿舎が設置されていたことはその管理の瑕疵である。

(二) 国家賠償法一条に基づく責任

(1) 三殿営林署は、昭和四四年五月六日頃、被告大宗土建に対し、国有林野無料利用承認願に対し、許可をなした。

右許可は、一般的に私人の国有林野の利用を禁止されているのを、特に被告大宗土建のために、右禁止を解除する行為であり、「公権力の行使」といえる。

三殿営林署は、右「許可」をなすにあたっては、寄宿舎の設置の目的であることを熟知していたのであるから単に国有林野の保護の観点からだけ判断するのではなく使用場所が寄宿舎設置にとっても安全か否かという観点からも判断しなければならない。

ところが、三殿営林署で使用を許可した場所は、土砂が崩壊する危険性の多いところであり、寄宿舎の設置に適さないところである。

従って、前記「許可」には、十分調査をせずに寄宿舎の設置に適さない場所に設置を許可したという過失がある。

(2) 仮に、右使用許可自体には、過失がないとしても、三殿営林署には適切な行政指導をしなかったという過失がある。

三殿営林署では、本件建築地に寄宿舎を設置することの許可申請を受理し、許可したのであり、寄宿舎の設置が、右営林署管理下の南沢林道新設工事に必要であること、右建築地は崩落しやすい箇所であること、さらに本件災害直前に崩壊事故が発生していること等から、本件建築地からの移動等を含む適切な行政指導をなすべきであるにもかかわらず、不注意にも、安全地域と誤信した過失により、適切な行政指導をなさなかった。

(三) 民法による責任

(1) 仮に、本件山林及び寄宿舎設置場所が公の営造物に該らないとしても、右場所は、本件災害の前年、被告国発注の与川堰堤工事を請負った訴外奥田工業が、材料置場・休憩所としてならして建設に適するように造成したものであるから土地の工作物である。既に述べたように被告国の右場所の設置・管理に瑕疵が存するから、被告国は民法七一七条の責任がある。

(2) 仮に、被告国の国有林野無料利用の承認並びに適切な行政指導を怠っていたことが公権力の行使に該らないとしても被告国は民法七〇九条、七一五条の責任を有する。

被告国(その従業員であることが明らかな石井三男)は、被告国発注の工事の従業員の寄宿舎の設置用地として、被告国所有の土地を貸す(使用を認める)にあたり、現場に赴いて場所の選定を指示している(あるいは少くとも相談にのっている)のであり、その寄宿舎が工事終了までその工事に従事するものが寝泊りすることが解っており、しかもその建設地に接近する山腹が極めて崩壊しやすい場所であることは熟知していたのであるから、そもそも貸さない(使用を認めない)か、あるいは貸した(使用を認めた)場所には、崩壊のおそれに対し適切な措置をとるべきなのにこれを怠ったことに不法行為が成立する。

四、損害

1 亡壬生明文の損害 一、二二七万八、九〇〇円

(一) 逸失利益 一、〇二七万八、九〇〇円

壬生明文は、被告川崎工業の従業員で、賃金は日額三、五〇〇円であった。右明文は、また、土木作業員としてこれまで通常一年のうち少なくとも四分の三は就労していた。従ってその年間収入は金九五万八、〇〇〇円である。うち同人の生活費は年間二五万三、〇〇〇円が相当であるから、同人の年間取得利益は七〇万五、〇〇〇円である。

右明文は死亡当時四一才であったから、本件事故がなければ六三才までなお二二年間は稼働し得たものと考えられる。この間の逸失利益をホフマン方式により計算すると同人の逸失利益は一、〇二七万八、九〇〇円である。

(二) 慰藉料 二〇〇万円

2 原告壬生松美は右明文の妻であり、同明美及び明裕は右明文の子であるから右原告らは各三分の一宛明文の前記損害賠償請求権を相続した。

3 原告松美の損害 六三四万二、九三四円

(一) 葬儀費用 二五万円

(二) 固有の慰藉料 二〇〇万円

(三) 右相続分 四〇九万二、九三四円

4 原告明美および原告明裕の損害 各四五九万二、九三三円

(一) 固有の慰藉料 各五〇万円

(二) 右相続分各四〇九万二、九三三円

5 ところで原告松美は、労災保険から葬祭料として金一二万一、三七〇円、同遺族補償年金として金一二六万〇、九〇二円、計金一三八万二、二七二円を、また被告大宗土建から金五万円を受領したので、前記損害金より右受領金を控除すると金四九一万〇、六六二円となる。

五、結論

よって被告らは、連帯して、原告松美に対し、金四九一万〇、六六二円、原告明美と同明裕に対し、各金四五九万二、九三三円および右各金員に対する昭和四四年八月五日より支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う責任がある。

(請求原因に対する答弁)

一、被告国

1 請求原因一項の事実のうち、

被告大宗土建が、昭和四四年八月頃、長野営林局より南沢林道新設工事を請負っていたことは認める。

原告ら指摘の事業計画内容、目的は否認し、その余の事実は不知。

2 同二項1号の事実のうち、(一)の事実は認める。(二)の事実のうち、

被告大宗土建が、本件工事を昭和四四年四月一七日に指名競争入札により金四、五六〇万円で落札し、被告国と右工事の請負契約を締結したことは認める。ただし工事請負契約をしたのは昭和四四年四月二三日である。

その余は不知。

(三)の事実は争う。

3 同二項2号の事実のうち、(二)の事実のうち寄宿舎二棟を建築したことは認めるが、建築年月日は昭和四四年四月二四日であり、被告川崎工業が建築したことは不知。(一)の事実は否認。(三)の事実は認める。

4 同二項3号の事実のうち、(一)の事実は認める。(二)の事実は認める。ただし下山沢は、寄宿舎の北東側を南東から北西に流れ、その西南に幅員三・六メートル(別に側溝部約一米)の奥下山沢林道を経て高さ約九〇ないし一四〇メートルの山をひかえており、山すそから下山沢の堰堤までの距離は最大のところ二一メートルである。(三)の事実は認める。ただし本件寄宿舎は前記の山すそから短いところで約五メートル、長いところで約一一メートルである。

5 同二項4号の(一)の事実のうち本件山の尾根から本件建築地に向って二つの沢(正確には山腹凹部)があったことは認めるが、常時水が流れていたことは否認する。その余は不知。(二)の事実のうち、本件山付近の地質が花崗岩であることは認めるがその余は争う。

6 同二項5号の事実のうち鉄砲水の発生は争うが、その余は認める。

7 同三項3号の被告国の責任に関する主張は全て争う。

8 同四項の事実は不知。

二、被告両会社

1 請求原因一項の事実は認める。

2 同二項1号の事実のうち(一)、(二)の事実は認め、(三)の事実は争う。

被告川崎工業従業員の監督者は被告川崎工業であり、工事面の監督は被告大宗土建及び営林局職員(営林署職員ではない)が行なっていたものである。

3 同二項2号の事実のうち、(二)、(三)の事実はこれを認め、同(一)の事実のうち被告川崎工業は右二者の指示により建設地を選定したとの事実はこれを争い、その余はこれを認める。本件寄宿舎の建設地は営林署の指示によって決定されたものである。

4 同二項3号の事実は全て認める。

5 同二項4号の事実のうち、

(一)の事実のうち、二つの沢が流れていたとの主張事実は不知。但し一つの沢が流れていたこと及びその余の主張事実はこれを認める(常時水が流れていたとする沢は山に向って左側であり、その右側方面にあったとする沢には水が流れていなかった。沢といわれるような外観ではなかった。)。

右同(二)の主張事実のうち、本件山付近の地質は花崗岩であることは認めるが、その余は不知。

本件土砂崩壊付近は草木が生え繁っており、土砂が崩壊するような外観は全く見られなかった。

(三)、(四)の事実は否認する。

6 同二項5号の事実は認める。

7 同三項1号の事実のうち、

被告大宗土建の注意義務及び過失責任、並びに使用者責任の存在は否認する。その余はこれを認める。

8 同三項2号の被告川崎工業の債務不履行責任並びに不法行為責任の存在はこれを否認する。本件災害は天災による不可抗力によるものであり、被告川崎工業には債務不履行も過失もない。

9 同四項1号(一)の事実のうち、明文が当時四一才であり、就労可能年数が二二年であること及びホフマン式計算方法並びに賃金日額が三、五〇〇円であったことは認め、その余は争う。(二)は争う。

10 同四項2号の事実のうち、原告壬生松美は、右明文の妻であり、同明美および同明裕は右明文の子であることは認める。

同四項3、4号の事実はこれを争う。

同四項5号の事実のうち、原告松美は、労災保険から葬祭料として金一二万一、三七〇円、同遺族補償年金として金一二六万〇、九〇二円、計金一三八万二、二七二円を、また被告大宗土建から金五万円を受領したことは認めるがその余は争う。

(原告らの主張に対する被告国の反論及び主張)

一、国家賠償法第二条第一項の責任について

本件国有林は、土地と一体となった樹木であり、土地の工作物のような物的設備ではなく、しかも直接に公の目的に供されるものではないから、国家賠償法第二条第一項にいう公の営造物には当らない。

仮りに本件国有林が公の営造物にあたるとしても、以下のごとく被告国に何ら管理瑕疵は存しない。すなわち、本件災害は、昭和三四年九月二六日から二七日の風水害(伊勢湾台風)による被害木(転倒木、挫折木、欠頂木、傾倒木、無枝木。以下「風倒木等」という。)の発生によって森林の植生が破壊され地盤に弛みをきたしていたところへ予期しない異常降雨があったため林地崩壊が発生して事故を誘発した不可抗力による災害であって管理の瑕疵によるものではない。

1 本件山林の地況及び林況

地況は、基岩は木曽駒型花崗岩からなり、土性は砂壌土(砂が1/3から2/3含む)、土壌の深度は中(三〇ないし六〇センチメートル)、結合度(土粒間の結合の度合)は軟、湿度は適湿であって、地形は全体として北東に約三〇度に傾斜している。

風倒木発生前における林況は、樹齢三〇~三五〇年平均樹齢一九〇年、主要な樹種別には、ヒノキ二〇%、サワラ二五%、コウヤマキ五%、モミ五%、ツガ三〇%、その他広葉樹等一五%の混交する天然生林でヘクタール当りの蓄積は、二九〇立方メートルで生育状況は中庸の森林であった。

2 風倒木等の発生

木曽地方の国有林は伊勢湾台風により多大な風倒木等が発生し三殿営林署管内国有林も約二六万立方メートルの風倒木等の発生をみた。このうち本件山林を含む南木曽国有林三九四林班い小班(現在のい、に、イ、小班)も面積一二・一八ヘクタール、蓄積約四、〇〇〇立方メートルのうち、全面積にわたってその蓄積の三分の二が風倒木等となった。

3 風倒木等の処理

昭和三四年一〇月長野営林局に「風倒木処理委員会」を設置し、昭和三四年度から昭和三九年度まで風倒木の処理を行い、本件山林内の風倒木は昭和三七年八月二八日面積一二・〇八ヘクタール、ヒノキ外三、一一八本を訴外三殿生産協同組合に売却し、昭和三八年七月一一日に一部の末木枝条を除き搬出を完了した。更に残った末木枝条はチップ材として訴外三殿チップ株式会社に売却し、昭和三八年九月二二日に搬出を完了し、全て風倒木の処理は行った。

4 造林事業について

風倒木等の処理跡地については、早期に森林の更新を図る方針のもとに、当時の三九四林班い小班について、治山事業対象地等を除く植栽可能な面積九・四〇ヘクタールについて昭和三九年度、四〇年度の二年度に亘って地ごしらえをし、杉三年生苗木一二、六〇〇本、檜三年生二四、四〇〇本の植栽を行った。

5 治山事業について

一般的に花崗岩地帯は、表面近くは十分風化が進み空隙が多く比重の小さい細かい砂(マサと呼ばれる)で覆われており、表層内部は未風化の岩盤若しくは、よく締って水の滲み込みにくい土層が存在しているのが通例である。このような斜面に降雨があると表層面あるいは、岩の割目から地中に水が供給され、次第に水圧を増して表層斜面の上の支持力を弱め摩擦力も減少し、更には地下水の貯溜によって粘着力が減少し、ついには、崩れ落ちるようになる。又ある場合には、パイピング現象、すなわち、表層とその内底部との境面に溜った水の層が次第に厚くなり地表の土層をこわして噴出し、遂には崩壊を起すこととなるので、一般には花崗岩地帯は他の古い年代に生成された地質地帯よりは崩壊し易いものといえる。

しかし、本件山林は、木曽駒型花崗岩に属し、中粒の閃雲花崗閃緑岩、閃雲花崗岩の成分を有する岩石で、角閃石の円形の大きい結晶が目立つ塊状をなした花崗岩であって、隣接周辺の伊奈川型花崗岩、摺古木型花崗岩と異なり生成年代も古い方であり風化進度も遅い。又、風化した場合でも石英が少ないため粘土化が強く褐色粘土を生じやすく他の前記花崗岩に比べて崩壊が少ない特性を有している。

したがって異常降雨による水の供給がなければ崩壊を起す状態ではなかったが、たまたま、局地性異常豪雨(集中豪雨)があり多量の雨水が供給された結果、これが引金となって物理的な崩壊を起したものであり「極めて崩落し易い状態にあった」ものではない。

又本件山の山腹コンクリートは「土砂崩落防止用の堰堤」ではなく、斜面表土の保護工事であり最終的には植生導入のための補助工法であって「土砂崩落防止用の堰堤が築かれているほど崩落し易い箇所」であるために土木的工法を実施したものではない。

(一) 本件三九四林班い小班の山腹崩壊地面積二・一一ヘクタールを対象として昭和三九年度、昭和四〇年度に山腹復旧工事(奥下山沢崩壊地復旧事業)を計画し、昭和三九年度事業として山腹コンクリート工五か所三七・六五立方メートル、山腹丸太積工九一六・八〇立方メートル、山腹粗朶積工二〇四平方メートルを施工し、同年一二月一四日工事は完成した。

(二) 引続き、本箇所に昭和四〇年度治山事業として、山腹粗朶積工一一七平方メートル、山腹粗朶筋工二、一〇六メートル、ヒドゲン植生盤工三六四メートル、緑化袋工八九三メートルを施工し、昭和四〇年九月九日工事は完成した。

(三) 更に以上の土木工作物により地表の安定を講じたので昭和四一年度に前記治山工事実行区域について、植生の被覆による林地の安定を図るため植栽工を計画し、同年四月九日から四月二五日までの間に三殿営林署直営事業として、アカマツ外三年生苗木九、三五〇本を植栽し、本件箇所の山腹復旧工事を完了した。

6 伐根の処理について

原告は伐根の未処理が本件災害を誘発したと主張しているが、樹根の持つ土砂崩落防止機能に鑑み、材木の根株は森林に残置されるのが一般であり、本件山林のような急傾斜地の山地においてこれを除去することは山地保全上極めて危険なことである。

更にこの山腹凹部は溪流と異なり地表水が少なく、しかも急勾配で直線的であることからして、根株や流木がせきとめる状態ではなく、伐根等の未処理による鉄砲水の発生は考えられない。

7 以上のとおり本件箇所については、伊勢湾台風により発生した被害木を早期に収去して森林を造成し国土の保全をはかるため、人工造林による更新と崩壊地の復旧事業を実施したものであるが、前述のとおり国有林は奥地山岳地帯に広く分布している関係上自然条件に支配される環境下にあって予期しない災害要因が包蔵しているため、道路、河川等の管理とは異なり国有林独特の管理経営上の困難性が存し、自然条件に対応する絶対的な処置は不可能なものである。従って、本件箇所も国有林野としての通常備えるべき安全性を具備していたものといえる。

二、国家賠償法第一条第一項の責任について

1 そもそも国有林野の管理は営林局署において、国有財産法、国有林野法その他の関係法令等に基づいて管理しているのであって、国有林を第三者が使用することについては、営林局署は受動的に処理するのである。

すなわち、使用を希望する者から申請があったものについてそれを許容することの適否を判断し処理するのであって、営林局署が積極的に第三者に使用箇所を指示することはない。

2 本件寄宿舎用地は、前記林道工事請負人たる大宗土建が自発的に選定して申請してきたものを、三殿営林署長が国有林野管理規程(昭和三六年農林省訓令第二五号)第八一条第一項第四号の規定によりこれを使用させても国有林野の管理経営に支障がないと認められたので使用を承認したものである。

そして、本件の無料利用は、国有林野事業請負契約の効果として生ずる国有林野の使用関係で、独立した使用契約と見るべきものではなく右本契約を履行するための附属行為であって本件無料利用承認行為は許可行為ではなく私法上の行為に該当することは明らかである。

仮りに本件無料利用承認行為が公権力の行使にあたるとしても本件寄宿舎の設置場所附近については、風倒木の処理は完了しその跡地には植林を行ない更に山腹に対しては復旧工事を実行して安定していることは前述のとおりであり、その上本件山の状況及び山腹凹部に常時流水もないことから本件事故は通常の注意義務を尽くしても到底その危険性を予見し得ない状況の下で発生したものである。従って三殿営林署長の本件承認行為には何等過失は存しない。

原告は、三殿営林署が寄宿舎設置場所の移動等について適切な行政指導を行なわなかった過失を主張しているが行政の具体的事実行為としての行政指導とは、「行政主体が一定の公けの行政目的を達成するため行政客体の一定の行為(作為、不作為)を期待して、それ自体法的拘束力なく行政客体に直接働きかける行政の行為形式」としてのサービス的誘導行政であり行政指導を行なうかどうかは、当該行政主体の裁量にまかされているのである。

従って、原告の主張する行政指導をしなかったとしても、そこには何等の不作為の違法性及び行為者の過失はないことは明白であり、また、本件損害との間の因果関係は存しないものである。

三、不可抗力

本件災害の直接の要因である降雨の状況をみると、災害発生五日前の七月三一日午前九時から断続的に降っていた雨は一九八ミリメートルの雨量をもたらしたところへ八月四日台風第七号は、知多半島から上陸し中央アルプスを直撃した上、木曽谷南部から長野県に入り県の南部を斜に横断し長野県南部を中心として大雨を降らした。

すなわち本件災害発生箇所に近接した南木曽国有林三九七林班ハ小班に三殿営林署が設置した自記雨量計による観測データでは、八月四日午前九時から五日午前九時までの日雨量は三一二ミリメートル(連続五日間の雨量五一〇ミリメートル)であり、特に降雨の激しくなった五日午前三時から午前六時までの時雨量は二〇〇ミリメートルであった。

この記録は、南木曽地域に最も近い大平観測所の降雨記録の昭和三六年六月二七日の日雨量二二九ミリメートルをはるかに超えるものである。

そして本件災害の発生は、昭和四四年七月末からの降雨によって林地が多量の水分を吸収し飽和状態となっていたところに台風第七号による未曽有の異常降雨によって山腹が崩壊し本件災害が発生した予期できない不可抗力の災害である。

四、回避可能性について

本件災害発生の直前に寄宿舎に入居していた訴外金子長栄が午前三時四〇分ごろ降雨が激しくなり危険性を察知して宿舎に就寝中の者を起し、大多数の者が避難のため集合していたこと、災害発生時までには十分避難可能な時間的余裕があり避難して被災をまぬがれた者があること、壬生明文については、なお訴外沢田栄が災害発生前に再度起して避難するよう告げたにもかかわらず避難しなかったことから判断すれば、壬生明文が避難していれば本件被災は回避できたものであるから本件災害と壬生明文の死亡との間には何等の因果関係がない。(原告らの主張に対する被告両会社の反論及び主張)

一、本件死亡事故は台風第七号による集中豪雨によって発生した天災事故であって不可抗力である。従って被告会社らは原告らに対し損害賠償の支払義務はない。

二、被告大宗土建に対する責任についての反論

1 本件宿舎が建設された場所は三殿営林署国有林内で、第三九四林班内にある。

2 国有林内に林道などを建設する場合に宿舎などの建設を必要とする場合には、担当地区営林署に対し国有林野無料利用承認願を提出して承認を得なければならないこととなっており、書類提出の前に営林署職員と帯同して承認が得られる場所の実質的な選定を行なっており、宿舎の場所の選定はすべて営林署の指示によるものであった。

3 本件の宿舎建設地は三殿営林署から

イ、山には植林がしてある。

ロ、林道の巾員が四・六メートルのほか、巾員約(道路と与川の堰堤まで)一二メートル、長さ三四か三五メートルの適当な広さがあること。

ハ、山際には高さ二メートル、長さ六〇~七〇メートルの石堰がある。

ニ、過去の例として昭和四三年与川堰堤工事を奥田工業が施行した時も、全く同じ場所に材料置場、休憩所が建てられていたこと。

を理由に本件宿舎地の事実上の選定が行なわれ、その結果本件宿舎地の利用許可が右営林署より下されたものである。

4 被告大宗土建は右宿舎地より約一〇〇米下流に宿舎を建設したいと申し出たが、前記3のように営林署の指示により本件宿舎に決定されたものである。

従って被告大宗土建は本件宿舎地が危険な箇所であるとの認識は全くなく、又宿舎選定に対する決定権は営林署にあるのだから、被告大宗土建には民法第七〇九条、同法七一五条の責任はない。

三、被告川崎工業の責任に対する反論

1 まず本件宿舎は台風第七号の集中豪雨による天災でない限り生命の危険がない場所であったのであるから、被告川崎工業には原告らの主張のような債務不履行の責任がない。

2 又原告らは被告川崎工業に対し、被告大宗土建と同様の不法行為責任がある旨主張しているが、被告大宗土建と同様な理由により不法行為責任はない。

(被告らの主張に対する原告らの再反論)

一、異常豪雨について

本件現場付近に設置された雨量計によると八月四日午前九時から八月五日午前九時までの日雨量は三一二ミリメートルであるが、右雨量計記録は昭和四三年に開始されたばかりで、予見可能性の判断基準に使用できないものである。

また、「本件災害現場に最も近い公式な観測施設である」大平観測所の記録では、三〇年間に四度も本件災害当日を越えた降雨があり、本件災害当日の降雨量は六年に一度ある程度のものである。

さらに、同じ営林局の三殿治山事務所に設け、かつ、過去の記録もあり、本件現場に最も近い大原苗畑観測所においては、本件事故現場における当日の降雨量である三一二ミリメートル以上の日雨量のあったのは昭和三二年から四五年までの間の一四年間だけをみても、昭和三九年にあり、五〇年確率として日雨量三五三ミリメートルとされている。

本件事故現場は、右観測所より山間部にあり、高位置にあるから、日雨量三一二ミリメートル以上の降雨が、過去に存したことは当然予想される。本件災害時の降雨量が予見し難いものであるという根拠は全くない。そして先行降雨にしても、先行降雨を含めた降雨量が未曽有のものであるとかあるいは予見できないものであるという立証は存しない。

二、本件現場の崩落危険性について

1 地形

標高一〇〇〇ないし一二〇〇メートル地帯は、氷点をはさんで気温が上下する年間回数が最も多い地帯で、凍上・解凍による表層風化が促進され、表層滑落が発生しやすい条件にあるところ、本件現場は土石流を発生した後背山地の標高が一〇四〇メートル、被害地の標高が九〇〇メートルで右条件に該当する。そして二四度以上の急傾斜地は、それ以下の地域に対して四・一倍の崩壊率を示し、三五ないし六度のところが崩壊率が最も高いところ、本件土石流の流下した山腹から山脚部の小沢への平均傾斜は上流側約二五度、下流側約三〇度、崩壊谷頭部は三七度であって地形的にみて山腹の崩壊率の高い地域であった。

2 地質

花崗岩類は元来節理や風化の発達しやすい岩石で、崩壊や土石流を最も起しやすく、マサや風化した花崗岩は水を含むと動きやすくなるが、本件山林は中粒閉緑岩質木曽駒花崗岩であり、粗粒花崗岩地区よりはやや崩壊確率が小さい岩相であるが、よく調べると細かいヒビ割れが多く発達し、風化はかなり進行している。

節理面の方向が斜面方向に平行であり、同じ岩相であってもかなり崩壊確率が高い。

3 土石流型の山腹崩壊の発達する地帯は、植生の有機酸でマサ質の表土が風化膨張してポトゾル化したものが比較的たまり易いところで、地形的には谷頭凹部や浅い谷筋にあたることが多い。そして本件現場のように平素は水がわずかしか流れていないか、殆んど流れていない沢は、大雨のときと天気のときの含水差が大きいのでかえって危険である。

また、谷頭部の浅い沢沿いのマサは、一般にポトゾル化しているのでパイピングを起しやすい。

4 本件現場は伊勢湾台風によって崩壊した土地の下側に当り、林相も未だ幼年の単一林であって安定性に欠け、風倒木の発生による植生の変化に伴い地表近くの土層は構造が脆弱になり、雨水の異常浸透が生ずる割目も発生、大雨があれば当然崩壊の再発が予想されるべき最も危険箇所であった。

5 南木曽地方では、「蛇抜け」という言葉があるほどしばしば本件のような土石流や崩壊があるのである。そのような「蛇抜け」が起りやすい所は、本件のような平素は水がわずかしか流れていない沢なのであることが経験的に知られており、そのような沢の出口のところを「谷口」と呼んで、「尾先」「宮の前」などとともに古来より家を建てていけないところとして云い伝えられているのである。

以上述べたことは、ある程度地質・地形等についての知識を有し、本件崩落地をはじめ多くの崩落地を管理している三殿営林署の職員であれば、当然知っていることである。

従って、本件災害は当然予見し得たものである。

第三証拠《省略》

理由

第一、本件災害の発生

一、昭和四四年八月五日午前四時頃、長野県木曽郡南木曽町読書南木曽国有林三殿事業区三九四林班内、下山沢ナンバー三九コンクリート堰堤付近に建築してあった被告川崎工業所有の寄宿舎二棟が、前夜からの降雨により、その後背山林より流出した約一〇〇〇立方メートルの土砂に押流され、右寄宿舎に宿泊中の壬生明文外四名は、右流出した土砂を含む流水(以下本件土石流という)により下山沢に転落し、壬生明文は同年九月三〇日南木曽町賤母地籍内の木曽川山口ダムにおいて死体となって発見されたことは全ての当事者間に争いがない。

二、本件山林及び崩壊現場付近の状況

《証拠省略》を総合すると次の各事実が認められる。

1  本件現場は南木曽国有林三殿事業区三九四林班い小班内(その後に小班と改称)に属する国有林野であって、その東北側は木曽川の支流与川に注ぎ込む下山沢が東南から西北に向って流れ、その西南側は幅員約四・六メートルの下山沢林道を挾んで本件山林がそびえる右林道と下山沢に挾まれた巾約二〇メートル長さ約四〇メートルの平坦地であって、右平坦地に別紙図面一で示すとおり、被告川崎工業の従業員寄宿舎・食堂が建築されていた。

2  本件現場付近は中央アルプス山系南部の南木曽岳の東北部に位置する山岳地帯で、本件現場の標高は約九〇〇メートル、本件現場西南には標高一〇四〇メートル山地が迫り、本件現場に向って二条の沢(もしくは山腹凹部、以下同じ)が流れ落ちていた。本件山林の傾斜度は、下山沢上流側の沢は平均約二五度、下流側の沢は平均約三〇度であり、地質は中粒閉緑岩質木曽駒花崗岩であり、粗粒花崗岩地区よりはやや崩壊確率が低い地質であるが、細かいヒビ割れが多く発達し、風化がかなり進行し、古生層地帯に比べ崩壊し易い性質を有し、土壌は酸性で比較的浅く、土粒子は粗く粘着力に乏しい地層であった。上流側の沢は降雨の際などには水が地表流となって流れるが常時水流が存在することはなかったが、下流側の沢は常時少量ではあるが水流が存在し、本件寄宿舎において風呂用水等として利用されていた。右沢の林道より約六〇メートル上部には砂防堰堤が設置されていた。

3  本件山林は昭和三四年九月伊勢湾台風により二・一一ヘクタールに亘って山地が崩壊し、多数の風倒木を生じさせたことがあったが、被告国は長野営林局に「風倒木処理委員会」を設置し、昭和三七年八月二八日本件山林の風倒木等を全て三殿生産協同組合に売却し、同三八年七月一一日に一部の末木枝条を除いて搬出を完了し、残った末木枝条は昭和三八年八月九日三殿チップ株式会社に売却し、同年九月二二日搬出を完了し風倒木の処理を行った後、同年地ごしらえをし、昭和三九年、四〇年の二ヶ年に檜三年生苗木合計二四、四〇〇本、杉三年生苗一二、六〇〇本を植栽した。

又崩壊地二・一一ヘクタールについては昭和三九年度治山事業として山腹コンクリート工事五か所三七・六五立方メートル、山腹丸太積工事九一六・八〇立方メートル、山腹粗朶積工事二〇四平方メートルの治山工事を施こし、更に昭和四〇年度治山事業として山腹粗朶積工事一一七平方メートル、山腹粗朶筋工事二、一〇六メートル、ヒドゲン植生盤工三六四メートル、緑化袋工八九三メートルを施工し、右区域に昭和四一年四月九日から同月二五日までの間に赤松、ハンの木等九、三五〇本を植栽した。

その結果本件山林は本件災害時、檜、杉、赤松、ハンの木が全体に生育する八年生以下のいわゆる幼年林であり、その他かん木、草等が全体に繁茂していた。

その結果本件山林は、本件災害時、檜、杉、赤松、ハンの木等が生育する八年生以下のいわゆる幼年林であり、その他全体にかん木、草等が繁っていた。

《証拠判断省略》

三、本件災害の発生及び前後の状況

《証拠省略》を総合すると次の各事実が認められる。

1  本件災害に先立つ昭和四四年七月三一日午前九時頃より本件現場付近には断続的に降雨があった。本件現場より一キロメートル北西の南木曽国有林三殿事業区三九七林班ハ小班与川製品事業所内に設置した自記雨量計によると、七月三一日午前九時から八月一日午前九時までの日雨量は約一一八ミリメートルであり、以降断続的に降雨があり、八月一日午前九時より八月二日午前九時までの日雨量は約四三ミリメートル、八月二日午前九時より八月三日午前九時までの日雨量は約一三ミリメートル、八月三日午前九時より八月四日午前九時までの日雨量は約二四ミリメートルであり合計一九八ミリメートルに達し、本件災害当日を迎えた。

2  八月四日午前六時に、室戸岬の南々東およそ五〇〇キロメートルの海上にあった台風七号(中心気圧九八五ミリバール、最大風速三〇メートル)は午前一二時頃向きを北または北々東から北東に変え、速度を増しながら午後七時三〇分頃潮岬の西に上陸し、五日午前〇時頃には伊勢湾南部に達し、知多半島付近に海上から陸上へ再上陸し、午前三時には岐阜県恵那市付近を通過し、木曽谷南部から長野県に入り、長野県南部を斜に横断して通過していった。

右台風七号の影響により八月四日午前頃より長野県南部に俄か雨が降出したが時折強く降る程度で一般にはそれ程の雨にはならなかったが、八月五日未明より雨勢は強まり、台風の接近・通過前後をピークとして最も強く、午前二時から午前三時までの一時間に飯田市で四二ミリメートル、清内路村で四四・五ミリメートル、恵那山で四五ミリメートル、午前三時から午前四時までの一時間に飯田市で三八ミリメートル、清内路村で四三ミリメートル、恵那山で六〇ミリメートルの集中豪雨となり、本件現場から七・五キロメートル南東の大平観測所の八月五日の日雨量二一〇ミリメートル、四、五キロメートル西北西の三殿営林署大畑種苗事業所の八月四日の日雨量は一四五ミリメートルの豪雨となり、中央アルプス山系南部の西斜面にある南木曽町、東斜面にある飯田市の山間地を中心として山(崖)くずれ、風倒木を混えた土石流による災害が多発し、特に南木曽町与川・梨子沢流域、飯田市松川流域の被害が甚大であった。

3  本件現場付近も、前記認定のように七月三一日からの降雨を経た後八月四日、五日の集中豪雨に見舞われ、前記三殿営林署与川製品事業所では八月四日午後一一時頃それまで中断していた降雨が再開し、八月五日午前三時頃より雨量が急激に増加し、以降八月五日午前一〇時頃まで激しい豪雨となった。その一時間降水量の推移は八月五日午前零時より同日午前三時までは一時間当り約六ミリメートル、午前三時より午前四時までは約二二ミリメートル、午前四時より午前五時までは約五四ミリメートル、午前五時より午前六時までは約一〇八ミリメートル、午前六時より午前七時までは約四六ミリメートルであり、八月四日午前九時より八月五日午前九時までの日雨量は三一二ミリメートルの豪雨であった。

八月四日の夜、本件寄宿舎のうち、林道寄りの棟には訴外金子長栄ら五名が宿泊し、下山沢寄りの棟には壬生明文ら七名が、右寄宿舎に隣接する食堂には倉田和江ら二名が宿泊していた。八月五日午前三時四〇分頃被告川崎工業の従業員金子長栄は、雨音で目を醒まし、下山沢が増水しているのに気付き各寄宿舎の従業員に声をかけて起こし、従業員のうち五、六名が寄宿舎を出、林道付近に退避のため集合していたところ、午前四時頃本件山林の下流側の沢よりゴーッという音と共に多量の水混りの土砂が流れ出し、一瞬のうち二棟の寄宿舎等を倒壊し、続いて上流側の沢より同じように水混りの土砂が流れ出し、下山沢側の寄宿舎、食堂を、下山沢川へ押し流した。右土砂崩れに対して寄宿舎に宿泊していた者のうち一名は上流へ、八名は下流へ避難して、難を免れたが、壬生明文ら五名の者は土砂に呑み込まれて行方不明となり、壬生明文のみが後日木曽川下流山口ダムで死体となって発見された。

4  本件災害直後の状況を見ると、本件山林の二つの沢から流出した土砂は山すそから下山沢に至るまで東西二〇メートル、南北八〇メートルに亘って林道を埋めつくして約一・二メートルの高さに堆積し、右土砂の中には大小さまざまな樹木と根株が散乱していた。一方土砂を流出した沢には樹木がなく沢の中心には水が流れ、下山沢に注いでおり、右各沢の上流には別紙図面二で見られるような山腹の崩落の跡が見られた。

四、本件土石流の発生原因について

1  《証拠省略》を総合すると次の各事実が認められる。

(一)、土石流の発生の機構については必ずしも十分に科学的に解明されていると言い難いけれども、土石流が発生するためにはおよそ次の三条件が必要と考えられている。その一は浸透水や、表流水が集中し易い比較的急勾配の山腹、山腹凹部、或いは溪流(沢)部に山腹崩壊や、溪岸侵蝕等によって供給された多量の土砂、土石、流木等が堆積していることであり、その二は溪床面、右土砂石堆積の下面にパイピングを起こし易い細砂が存在することであり、その三は短時間に多量の降雨が与えられることである。

(二)、そして山腹部に多量の土砂を供給し、又土石流発生の引き金ともなる山地の崩壊については、自然的因子(素因)として、地形(傾斜、谷密度、高度等)、地質(岩質、地質構造等)、降水量、気温等が、人為的因子(要因)として、植生(人工林率、林相、樹種)治山工事等が考えられ、崩壊はこれらの因子が総合的に作用して発生するものであるが、その発生の機序は必ずしも十分に科学的解明がなされているとはいい難い。

(三)、本件山林は高度九〇〇メートルから一〇四〇メートルにあり、本件山林上流側の沢に向っての傾斜は平均約二五度、下流側の沢に向っての平均傾斜は約三〇度の急勾配であり、各沢の山脚部の傾斜はそれより緩くなっているので、山腹上部より供給された土砂が各沢部分付近に堆積し易い地形となっている。

(四)、本件山林の地質は木曽駒花崗岩質であって、節理や風化の発達し易い岩質であって、風化するとマサと呼ばれる空隙が多く比重の小さい粗粒の細砂となり、又節理から水が浸透し、崩壊に対する抵抗力が弱まることも考えられる。そして昭和三四年の伊勢湾台風による崩壊、風倒木の発生その処理による山腹表層の弱体化、地表植生の急激な変化により、有機物が失われ、表面侵蝕が急速に進んだこと、土壌は比較的浅く、土粒子は粗く粘着力に乏しいこと、前述のとおり、被告国は伊勢湾台風後風倒木の処理、崩壊地に対する治山工事、本件山林全体に対する植生を施工しており、全般にかん木、草が繁茂するなど本件山林の沢部分に土砂の堆積がみられ、表面的な安定を見せていたが、林相は未だ安定していない状況にあり、地形、地質、林相共に崩壊に対して抵抗力の弱い、崩壊発生の危険性を孕んだ地域であった。

(五)、本件崩壊が発生した八月五日午前四時頃、本件山林付近は台風七号による降雨が激しかったが、本件山林付近における降雨のピークは午前四時から午前七時であり、最大のピークは午前五時から午前六時で一時間の雨量は一一二ミリメートルに達する豪雨であったが、八月四日午前九時から八月五日午前四時までの雨量は七一ミリメートルであった。これに対し七月三一日から八月四日までの雨量は一九八ミリメートルに達していた。

(六)、本件豪雨による崩壊箇所は別紙図面二のとおりであるが、本件山林上流側の沢は、その上流に向って右側頂上の下に新生崩壊が見られる他、左側上部は昭和三九、四〇年に亘り被告国が治山工事を施こした箇所が大きく再崩壊が見られ、又下流側の沢は砂防堰堤の上流右側に新生崩壊が二箇所、上流左側に新生崩壊並びに治山工事を施した場所の再崩壊が見られる。その後昭和四八年五月一五日現在では、どちらの沢も崩壊が進行し全体として別紙図面二のような崩壊状況となっている。

2  以上の認定事実及び前三項で認定した事実を総合すると、本件土石流は、本件山林が元来、地形的にも地質的にも崩壊に対する抵抗力が弱かったところに、昭和三四年九月の伊勢湾台風によって風倒木が発生して植生が変化し、地表近くの土層はその衝撃によって構造が弱くなり、異常浸透を誘発するような割目の発生、地表の有機物が失われることにより表面侵蝕が加速的に進行し、土砂が山腹凹部、沢筋に堆積されたこと、崩壊箇所に対して前認定のような治山工事、本件山林全体に亘って植林が行われてはいたが、未だ林相が安定せず不安定な土壌堆積部が存在していたところ、七月三一日から八月四日にかけて断続的な降雨により堆積部の貯水能力が飽和状態となっていたところに、台風七号による集中豪雨によって沢上部の山腹が崩壊しこれが引金となって堆積部の流動が始まり沢を貯留水と共に一気に流下して発生したものと認めるのが相当である。

第二、被告らの責任

(被告国の責任)

一、国賠法二条の責任について

本件災害を惹起した土石流の発生した本件山林及び本件現場はいずれも南木曽国有林三殿事業区三九四林班に属する国有林野であって被告国(三殿営林署)の管理下に置かれていたものである。国有林野法によれば「国有林野」とは、1.国の所有に属する森林原野であって、国において森林経営の用に供し、又は供するものと決定し、国有財産法三条(国有財産の分類及び種類)第二項第四号〔企業用財産〕の企業用財産となっているもの2.国の所有に属する森林原野であって国民の福祉のための考慮に基き森林経営の用に供されなくなり、国有財産法第三条第三項〔普通財産〕の普通財産となっているもの(同法二条)と定義されている。本件山林を含む三九四林班は、《証拠省略》により認められるとおり、三殿営林署の「国有造林実行簿」の対象地であり、又《証拠省略》により認められるように三九四林班に生育の檜等が産物として被告国より第三者に売却されるなど、被告国の森林経営の用に供されていることは明らかであるから、本件山林は国有林野法二条一号にいう国有林野であり、国有財産法三条二項四号の企業用財産であって国の行政財産(公物たる財産)の一と言わなければならない。

ところで、国賠法二条に規定する「公の営造物」とは「国又は公共団体等の行政主体により直接に公の目的に供用される有体物及び物的設備」を指称するものと解せられるところ、本件山林及び本件現場のような国有林野は、行政財産(公物たる財産)であり広義には治山、営林事業等を通して国民の福祉に寄与するものではあるが、直接に公の目的に供されるものということは出来ないから「公の営造物」には該らないと解するのが相当である。そして本件寄宿舎設置場所は単に本件災害の前年奥田工業が休憩所等を設置したことがある平坦地であるにとどまり、直接に公の目的に供する場所とは到底解されないのであって「公の営造物」に該当しないことは論を俟たない。

従って、本件山林及び現場が公の営造物であることを前提とする国賠法二条に関する原告らの主張はその余の点について判断するまでもなく失当である。

二、国賠法一条の責任

前述のとおり本件山林等は「公の営造物」には該当しないが被告国の行政財産であることは前述のとおりである。

そして、国の普通財産が国の私物としてその使用収益関係については原則として私法的規律に服することとされているのに対し、国の行政財産については、その適正な管理処分と円滑な運用を確保するため、国有財産法によって行政財産に対する私権の設定を原則として禁止し(同法一八条一項)、これに違反する行為を無効とし(同条二項)、その用途又は目的を妨げない限度で使用収益させる場合には、行政庁の処分としての性質を有する許可によるものとし(同条三項)、右の許可を受けてする行政財産の使用又は収益については借地法及び借家法の適用を排除する(同条五項)など特別な法的規制がなされている。国有林野については、国有林野法七条、八条の一ないし四によってその使用収益、貸し付け等についての規制を設け、又国有林野の借受人又は使用者に対し、その借受地、使用地の区域内の国の所有の立木等の地上物件に被害が発生し、又は発生するおそれがある場合にはその届出義務を課し(同法施行規則一七条)、又利用状況の報告、資料の提出義務を課すなど(同規則一七条の二)国有林野の管理処分について特別な規制を設けている。

これら行政財産である国有林野の管理の法的特性に鑑みると、国有林野の管理行為はいずれも国賠法一条の「公権力の行使」に該当するものと解するのが相当である。

1 無料利用承認について

無料利用承認は、国有林野管理規程八一条に基づいて営林署長が一定の場合に、国有林野の経営に支障のない限度において、私人に国有林野の利用を許可する行為である。その効果としては私法上の使用貸借契約に類似するものということができるけれども、公物である国有林野の管理にかかる行為であり、営林署長が無料利用承認をなし得る場合は前同規程八一条一項で限定され、一号の「国有林野に坑道、トンネル等を掘さくさせ、又は送電線等を架設若しくは埋設させる場合」を除いてはいずれも、営林署、営林局が行う国有林野事業に密接に関連する場合に限られていることを考慮すると、「無料利用承認」行為は、純粋な私経済行為ではなく、国有林野の管理の一環であって、国賠法一条に規定する「公権力の行使」と解するのが相当である。

(一)、《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

(1)、昭和四四年四月一五日、三殿営林署与川製品事業所で行われた本件林道工事の現場説明会の後被告大宗土建の現場代理人鈴木薫、被告川崎工業の役員波平種萬らは、本件工事現場を下検分し、右工事落札の場合の工事人の寄宿舎建設地としては、本件現場(下山沢ナンバー三九コンクリート堰堤)付近を予定した。同年四月一七日被告大宗土建は本件林道工事を代金四五六〇万円で落札し、同月一九日被告川崎工業は、寄宿舎を建築すべく資材を本件現場に搬入し、今回寄宿舎が設置された地点より約三〇メートル下流の地点の整地を開始した。ところが前記鈴木薫は営林署の承認を得ておらず、又寄宿舎用地として狭小であるとして整地の中断を指示した。そして鈴木は三殿営林署の与川担当区主任石井三男を同道し、本件土地を寄宿舎用地として選定するについて同人の立会を求めた。同人から特段の異議が出なかったので、被告川崎工業は即日寄宿舎建設に着手し、同月二四日頃に右寄宿舎は完成した。寄宿舎用地等に関する無料利用承認願は同年五月六日被告大宗土建より三殿営林署長宛に出され、三殿営林署長は、与川担当区主任石井三男に実地調査を命じた上、承認相当との調査意見に基づき同月一七日被告大宗土建に対し本件現場の無料利用を承認した。

(2)与川担当区主任石井三男は、四月一九日の寄宿舎用地選定に立会を求められた際、本件現場は、①その後背山林に植林がしてあること、②適当な広さがあること、③山際には高さ二メートル、長さ六〇~七〇メートルの石垣があること、④前年奥田工業が与川堰堤工事を施工した際同じ場所に材料置場、休憩所が建てられていたこと、から本件現場は森林経営の面からも、安全性の点からも支障がないと判断し、その旨前記鈴木薫に告げ、「無料利用承認願」の書類を提出するよう指示を与え、三殿営林署長からの実地調査命令に対しても右のような判断から、「無料利用承認」をして差し支えない旨復命した。

(3)、本件寄宿舎の建築について、営林署、被告両会社とも本件山林崩壊の危険性を感じていた者は全く無かった。

《証拠判断省略》

右事実によると、本件現場を寄宿舎用地として選定したのは被告大宗土建の現場代理人鈴木薫及び被告川崎工業の閔昌鎬らであって、三殿営林署員によって寄宿舎用地が指定されたことはなく、三殿営林署与川担当区主任である石井三男が立会を求められたのは、将来被告大宗土建が無料利用承認願を出すについて、同人の意見を求めたものと解される。

従って、三殿営林署長は被告大宗土建のなした本件無料利用承認願に対し、国有林野管理規程等に基づき、申請箇所である本件現場を無料利用させることが国有林野の経営に支障があるかどうかを調査し、受動的に承認をなしたにとどまるものである、国有林野のどの区域或いは場所について無料利用承認願を申請するかは申請人の決定すべきことであって営林署長が直接介入決定すべき事項ではなく、従って、本件の場合においても寄宿舎用地としてどこが適当であるか、その安全性はどうであるかといったことは申請人である被告大宗土建、或いは寄宿舎の設置者である被告川崎工業において判断すべき事項であって、その判断に誤りがあり、寄宿舎設置場所が危険な場所であったとしても、右による損害の発生につき、国は第一次的には責任を負うことはないものと解される。

しかしながら、寄宿舎用地の選択とその無料利用承認申請行為と、右申請を相当としてこれを承認する営林署長の行為とは全く別個の観点から検討されなければならない。

ところで、本件においては無料利用を承認した場所(本件現場)の周囲は全て被告国の管理する国有林であって、その背後に本件山林が急傾斜をもって迫り、本件山林から二条の沢が本件現場に向って流れている(上流側の沢については常時水流がある訳ではない)から、本件山林に生じた異常は必然的に本件現場に影響を与える関係にある。従って被告国について、本件山林の管理者として、本件山林管理の関係で、本件山林の本件現場に及ぼす危険性(本件現場から言えばその安全性になる)を問題とせざるを得ない。そして本件現場には寄宿舎が建築されることを、被告国は熟知していたのであるから、本件無料利用承認をなすに当って、本件土地が寄宿舎用地としての安全性を具備するものであるかどうかの見地からの検討がなされるべきであったし、無料利用承認をなした後は、被告国は本件山林を適正に管理して、本件現場に対して危険を及ぼさないように配慮する義務があるものと言わなければならない。

2 本件災害の予見可能性について

本件無料利用承認のなされた当時被告らは本件山林崩落等の危険性を認識していなかったことは前述のとおりである。

(一)、山林崩壊及び土石流の予見可能性

《証拠省略》によると山林の斜面崩壊現象は学問的に十分解明されていない面があり、斜面崩壊現象の要因とされる因子を定量的に評価し、具体的な崩壊発生を予測することは困難であることが認められる。

しかしながら斜面崩壊現象の要因とされるものは既に認定したとおり一応明らかになっているのであって、右各要因にそって本件災害当夜の山腹の崩壊及びこれを引き金とする土石流につき、その危険性を通常予測し得たか否かについて検討する。

(1)、《証拠省略》によると、長野県南木曽地方は古くより土石流災害が多発するところとして有名であり、地元ではこのような土石流を「蛇抜け」と呼んで恐られ、死者一〇〇名以上を出した「大蛇抜け」は一六四四年、一八四四年、一九六五年に発生していること、南木曽地方においても本件災害の発生した下山沢流域は長者畑川流域についで山林斜面崩壊の発生が大きい地域であり、崩壊率は一一・一パーセントであること、南木曽地方の崩壊因子としては林令、及び傾斜が重な因子となっていることが認められる。

(2)、本件山林は、風化し易い花崗岩質であり、傾斜は二五度から三〇度と急であり、又土壌は浅く、地形・地質土壌の点から崩壊に対し抵抗力の小さい地域であり、本件現場に向って二条の沢が流れ落ち、昭和三四年九月の伊勢湾台風の際にも二・一ヘクタールにわたって斜面が崩壊したことがあった。

(3)、被告国は本件山林に対し、風倒木の処理、治山事業として、山腹コンクリート工五ヵ所、山腹丸太積工、山腹粗朶積工等を施し、又植栽、植生を実施し、本件山林の山腹は安定したと主張し、被告国主張どおりの治山、植生事業が行われたことが認められるが、山腹工事により林相が安定するには一〇年ないし二〇年は必要であるから未だ本件山林の林相は安定した状態にあったということはできず、却って、伊勢湾台風による風倒木の発生、植生の変化等による山腹表層の弱体化と土砂の流下によって本件山林の二条の沢流域には土砂の堆積があった。

(4)、伊勢湾台風の際崩壊した後、山腹安定工事を施した箇所が、本件災害において再崩壊している。

(5) 《証拠省略》によると、昭和四四年七月一〇日本件山林より土砂が一、二立方メートル林道上に流れ出し、ブルドーザーで排除したことが認められる。《証拠判断省略》

以上の事実によれば、本件山林は山地の斜面崩壊並びに土石流の発生の危険を生ぜしめる条件を満たしている。従って本件山林に対し、相当多量の降雨が予想される場合には山地斜面の崩壊並びに土石流の発生の危険性は通常予期し得たものということができる。

(二)、本件山林における降雨について

本件山林に近接する三殿営林署与川製品事業所における降雨量は昭和四四年七月三一日午前九時頃から八月四日午前九時までに断続的に合計一九八ミリメートル、同日午前九時から八月五日午前九時までの降雨量は三一二ミリメートルで五日間に五一〇ミリメートルの大量の降雨があった。《証拠省略》によると昭和三二年より昭和四四年までの一三年間の南木曽町(観測地点・南木曽町上の原、標高六〇〇メートル)における最大日雨量は三三六ミリメートルであり、五〇年確率によると三五三ミリメートルであることが認められる。《証拠省略》によると、本件現場から四・五キロメートル西北西の三殿営林署大原種苗事業所における昭和四四年八月四日の日雨量は一四五ミリメートルであるが、昭和七年から昭和四四年までの間同所における日雨量が右一四五ミリメートルを超えたことが九日あり、最大日雨量は三三六ミリメートルであること、本件現場より七・五キロメートル南東の大平観測所における昭和四四年八月五日の日雨量は二一〇ミリメートルであるが、昭和八年より昭和四四年までの間同所における日雨量が右二一〇ミリメートルを超えた日が二日あり、最大日雨量は二三五・八ミリメートルであることが認められる。右事実によると山岳地帯における降雨は地形によって著しく異なる(本件災害当日の日雨量の比較によっても同様である。)ことを考慮に入れても三殿営林署与川製品事業所の本件災害当日の日雨量三一二ミリメートルは通常予測できない激しい豪雨であったとは到底いえず、通常予測しうる規模のものであったといわなければならない。

しかも、八月四日午前九時より本件災害が発生した八月五日午前四時までの降雨は、与川製品事業所において六九ミリメートルにとどまるから、本件災害は通常予測し得ない豪雨によって惹起されたものではない。被告国は先行降雨が本件災害の大きな誘因となっていると主張するのでこの点についても検討を加えるに、本件災害の引き金となった災害直前の豪雨と先行降雨を加えた雨量は二六七ミリメートルである。《証拠省略》によると、前掲大平観測所における四日以上の連続降雨において、前記二六七ミリメートルを超えた回数は、昭和三四年から昭和四四年までの一一年間に六回あり、主なものは、昭和三五年八月九日から一四日四三七ミリメートル(最大の四日間三九九ミリメートル、以下同じ)、昭和三六年六月二四日から三〇日・五六四ミリメートル(四六九ミリメートル)、昭和四三年八月二四日から二九日・四四九ミリメートル(三〇七ミリメートル)であることが認められる。右事実によれば本件災害に先立つ四日間の先行降雨についても通常の予測の範囲内にあることは明らかである。

以上のとおり、本件災害の原因である本件山林の斜面崩壊並びに土石流発生の危険性は通常予測し得たものであり、通常予測可能な降雨により本件災害が発生したものと言わざるを得ない。

3、ところが、三殿営林署長は本件山林に斜面崩壊等の危険性があり、本件現場は寄宿舎用地としては甚だ安全性に疑問のある土地であるのに、その危険性を予見することなく、漫然と被告大宗土建に無料利用を承認したもので過失があるという他はない。

そして、七月三一日より、本件現場付近に断続的に雨が降り、八月四日午前九時頃までに約二〇〇ミリメートルに達していたのであるから、本件山林を管理していた三殿営林署員としては通常の注意義務を尽せば本件山林の地盤が相当水を含み、崩壊し易い状態となっていたことは認識し得たものと推認でき、このような状態の時に通常集中豪雨、強風等を伴う台風七号が接近してきたのであるから、本件山林の崩壊等による本件寄宿舎に対する危険が逼迫していることは十分に予測し得たものと言わなければならない。従って本件山林の管理者である被告国(三殿営林署)としては右危険を防止する義務を負うものであるところ、直ちに有効な山林崩壊防止策をとることは困難であるから、少くとも本件寄宿舎の危険性を警告し、寄宿舎に宿泊している者の退避を勧告するなど被害の発生を未然に防止する措置をとるべき義務があったものと言わなければならない。ところが被告国は本件山林崩壊の危険性を認識せず、何ら右のような措置に出なかったものであるから、本件山林の適正な管理を怠っていたものというべく右は違法な公権力の行使にあたると解される。

4、不可抗力の主張について

被告らは本件災害は全く予見不可能な不可抗力による災害であると主張する。しかしながら本件災害が不可抗力であるとする事由は全て既に判断したとおりいずれも理由のないものであるから被告らの不可抗力の主張は採用できない。

5、回避可能性について

《証拠省略》を総合すると、

本件災害発生の直前である八月五日午前三時頃、金子長栄は、降雨が激しく、下山沢が増水していたことから危険を察知して二棟の寄宿舎に就寝中の者に声をかけて起こしたこと、その際壬生明文は一たん起きかかったが又ふとんをかぶったこと、その後酒井尊好は、布団を出て下着姿でいた壬生明文に対し合羽を与えて早く出るように指示したが、その際寄宿舎の中には壬生明文一人であったことが認められ、当日寄宿舎に宿泊中の一四名のうち、約八名は寄宿舎を出て林道端に集合し、右八名の者を含む九名の者は避難し、難を免れたが、壬生明文ら五名の者が被災したことは既に認定したとおりである。

被告国は、壬生明文は避難しなかったため被災したもので本件災害と同人の死亡との間には何ら因果関係がない旨主張する。

しかしながら、壬生明文がどのような状況で被災したのかその被災状況は全く分らないこと、目を醒まして寄宿舎を出た者のうち、朝本秀吉、稲葉実の両名及び、倉田和江も被災していること、及び深夜豪雨の中での災害であること等を考慮すれば、壬生明文が避難すれば被災せず死亡の結果を回避できたものと推認するのは困難であり、本件災害と同人の死亡との間には相当因果関係がある。

6、そして、本件災害による壬生明文の死亡は被告国の前記違法な公権力の行使のために生じたものであるから、その余の点について判断するまでもなく、被告国は国賠法一条によって本件災害により生じた損害を賠償する義務がある。

(被告両会社の責任)

被告大宗土建が長野営林局より請負った本件工事の一部を被告川崎工業が下請けしたこと、壬生明文が被告川崎工業の従業員であったことは原告と被告両会社の間で争いがない。

一、被告川崎工業

雇用契約は、労務提供と賃金支払をその基本的内容とする双務有償契約であるが、通常被用者は使用者の指定した場所に配置され、使用者の提供する設備を使用し、寄宿舎が提供される場合にはその寄宿舎に宿泊して労務提供を行なうものである。従って雇用契約における使用者の義務は単に賃金支払に尽きるものではなく、右寄宿舎等の諸施設から生ずる危険が被用者に及ばないよう被用者の安全を保護する義務、すなわち安全保証義務が包含されているものといわなければならない。(労働基準法九六条二項によれば使用者に対し、労働者の健康、風紀、生命の保持に必要な措置をとることを義務づけている。)

ところが、既に詳述したように、被告川崎工業は、山林の崩壊、土石流によって生命の危険がある寄宿舎に壬生明文を寄宿させ、又避難等の必要な措置をとらなかったため、本件災害により壬生明文を死亡するに至らしめたものである。

従って、被告川崎工業は雇用契約上の債務不履行により本件災害により生じた損害を賠償すべき義務がある。

二、被告大宗土建

《証拠省略》によると、本件工事は、被告川崎工業が被告大宗土建から下請けしたもので、被告大宗土建は資材の供給と技術を担当し、人夫を集め現実土木工事を施工するのは被告川崎工業が担当することとなっていたこと、工事の指揮は被告川崎工業の現場責任者波平種萬と被告大宗土建の現場代理人鈴木薫(終局的には鈴木薫)がとっていたこと、人夫賃は朝本昇が人夫の出面帳をつけ、鈴木薫の確認を受けて被告大宗土建へ提出し、被告大宗土建が各人夫別に賃金を計算して被告川崎工業に渡し、被告川崎工業から朝本昇へ計算書と現金が交付されるシステムがとられていたことがそれぞれ認められる。そして本件寄宿舎用地が実質的には被告大宗土建の鈴木によって決定され、無料利用承認願は被告大宗土建が申請していることは既に認定したとおりである。

右事実によれば被告大宗土建は被告川崎工業の従業員を工事に関して直接指揮監督しているものというべく、寄宿舎建築についても実質的な関与をなしているから、被告川崎工業の従業員に対し使用者的な立場にあるといわなければならない。従って被告大宗土建は、被告川崎工業の従業員に対し、その寄宿舎の建築地として、土砂の崩壊等その生命・健康に危害を及ぼすおそれのある場所を避けなければならない注意義務があるのにこれを怠り、同被告会社の従業員鈴木薫は、土砂の崩壊等の危険のある本件現場を寄宿舎用地として選定した過失により被告川崎工業をして本件現場に寄宿舎を建築させる結果となった。従って被告大宗土建は民法七〇九条に基づき本件災害により生じた損害を賠償する責任がある。

第三、損害

一、亡壬生明文の損害

1、逸失利益

《証拠省略》によると、亡壬生明文は昭和二年九月二〇日生れの健康な男子であり本件災害で死亡した当時満四一年であったこと、明文は当時被告川崎工業より日当金三、五〇〇円の収入を得ていたことが認められる。(右事実は原告と被告両会社との間では争いがない。)

当裁判所に顕著な第一二回生命表による明文の平均余命は三〇・八四年であり、明文の就労可能年数は満六三年までの二二年間と認めるのが相当である。通常休日を除き一ヶ月二五日程度は稼動するものと認められるから、明文は毎月二五日、年間三〇〇日は稼動し、前記収入を挙げ得たものと推定される。ところで原告らは、本件災害が無かったなら明文は一年の四分の三は稼動し得たとしてその逸失利益を請求するものであるところ、右請求は前記範囲内であるから原告主張のとおり、明文は一年間の四分の三の期間稼動し、収入を得たものとするのが相当である。

従って、明文の年間収入は金九五八、一二五円であるところ、同人の生活費は収入の三割とみるのが相当であるから、生活費を控除すると結局同人の年間逸失利益は金六七〇、六八七円である。そこでホフマン式計算法により稼動可能期間二二年間の年五分の割合による中間利息を控除して、明文の逸失利益の死亡時における現価額は、金九、七七八、六二四円である。

2、慰藉料

明文は四一才で家族を残して死亡したわけであるが、その精神的苦痛に対する慰藉料としては金二、〇〇〇、〇〇〇円を下らない慰藉料が相当である。

二、原告壬生松美固有の損害

《証拠省略》によれば、明文は原告ら四人家族の大黒柱として稼動していたものであるところ、本件災害により原告壬生松美は夫を失い、大きな精神的打撃を受けただけでなく、長女明美(当時一〇才)、長男明裕(当時八才)の二名をかかえて生活に困窮し、昭和四四年八月から労災保険が支給されるまでの間生活保護の受給を余儀なくされたことが認められる。

1、慰藉料

原告壬生松美の右のような精神的苦痛に対する慰藉料としては金二、〇〇〇、〇〇〇円を下回らない金額とするのが相当である。

2、葬儀費用

原告壬生松美本人尋問の結果によれば、同原告は亡壬生明文のために葬儀をとり行ったことが認められ、右葬儀費用としては金二五〇、〇〇〇円を本件災害と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

三、原告壬生明裕、同壬生明美固有の損害

本件災害により、原告壬生明美は満一〇才、同壬生明裕は満八才で父親である壬生明文を失った。従って右両原告の精神的苦痛による慰藉料としては各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

四、相続

原告壬生松美、同壬生明美、同壬生明裕はそれぞれ壬生明文の妻及び子であるから、壬生明文の前記損害賠償請求権を法定相続分に従い各三分の一である金三、九二六、二〇八円の割合で承継した。右金員に各原告の損害額を加えると、原告壬生松美の損害額は金六、一七六、二〇八円、原告壬生明美、同壬生明裕の損害額は各金四、四二六、二〇八円となる。

五、損益相殺

原告壬生松美が労災保険より葬祭料として金一二一、三七〇円、同遺族補償年金として金一、二六〇、九〇二円の合計一、三八二、二七二円の支払を受け、被告大宗土建より金五〇、〇〇〇円の支払を受けたことは原告と被告両会社間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被告国との関係においても右事実が認められる。従って、原告壬生松美の損害額は前記金六、一七六、二〇八円より右損害の填補を受けた金一、四三二、二七二円を控除した金四、七四三、九三六円である。

第四、結論

以上のとおりであるから原告らの被告らに対する本訴請求は、原告壬生松美が、金四、七四三、九三六円、原告壬生明美、同壬生明裕が、各金四、四二六、二〇八円並びに右各金員に対する昭和四四年八月五日より完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから、右限度で原告らの請求を認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条一項、仮執行宣言につき同法一九六条一項を適用し、仮執行免脱の宣言については相当でないものと認めこれを付さないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 小美野義典 裁判官 林醇 裁判長裁判官間中彦次は転任につき署名押印できない。裁判官 小美野義典)

〈以下省略〉

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